東京五輪と心理効果。なんやかんやで結局やって良かったよねて結論になりそうと思う。
東京オリンピンクが1年延期ののちに無事に(?)始まりました。
自分がニュースや周囲の反応を見る感じでは反対派が多い印象。
ニュースとはテレビだけでなくネットやYouTubeなども含めて。
しかし、私の予想としては終わった時には結局
「やって良かったね」
「困難が色々あったけどやはり感動に包まれた祭典だった」
と結果オーライになるのではないかと思っております。
ゲイン効果〜最初の印象が悪いとちょっとした良いことでも必要以上によく見えてしまう〜
これだけ前評判が悪いと、いざ始まったときに人はいい部分を探したくなるもの。
そもそも開催すべきではないような最悪の状況の中で始まった五輪ですが、始まってしまえばもう引き返す事はできない。
すると人は開催後に良い部分があるとそのイイトコロが通常以上によく見えてしまったりする。
特に開催に批判的な態度をとっていた人の方がコロッといきやすい。
意外な種目で金メダルを獲ったりして、それをメディアがうまいこと感動のストーリーに仕立て上げたら簡単に人は裏返ってしまう。
つまり最初の期待がマイナスの人が多いのが今回の五輪であり、それによりそもそも観る側にプラ転の余地が多い状況が生まれている。
それに加えてメディアは放送する以上いいところを強調するしかない。
結果としてそれをみた上記の視聴者は
「五輪てやっぱり良いな」
という結果になりやすい土壌が用意されている。
YouTubeなどのメディアでも金メダル取った人を批判するような動画を作るメリットもないしそもそも批判できる論理なんかもあるわけがないだろう。
始まりが最悪で、その上で結果が悪くてもなんとか良かった場面を探す。
全体的に良い結果が出た時には最初の「最悪」からのギャップがあるから「最高」に容易に転じ易い。
ちなみに最初の印象が悪い人が、いいところを見せた時に過大評価されるような心理効果を「ゲイン効果」というらしい。
東京五輪とサンクコスト効果〜行動経済学的には五輪中止はあり得なかった〜
東京五輪に向けて多額の金が動いた。
その金は国民の税金である。
そしてもう取り返しがつかなくなってしまった頃にコロナ禍が発生。
感染拡大を止めるには五輪は中止すべきというのが正論であろう。
でも止められなかった。
なぜか?
要因の一つとして準備にかけてしまった費用の問題がある。
それは私には想像もできないようなウン兆円とかの単位のお金であろう。
それを使ってしまった後で中止となればその金全てが無駄になる。
損失として計上されてしまうのである。
合理的に考えれば「もうだめだ」と気づいた時点で中止し損失を最小限に抑えるべきである。
しかし、それを中止することはできなかった。
政治家が全て悪いのか?
政治家はかなりの部分で責任を負うべきではあるだろう。
しかしその政治家を動かしているのは我々国民であり、そのため我々にも非があるのではないかと思う。
冒頭のサンクコスト効果とは
「すでにかけてしまった費用に対して勿体無いと感じてしまい、このまま続けても損失は膨らむがかけた費用が勿体無いからやめられない」
と、簡単に言えば上記のような状態である。
今酔っぱらってこの記事を書いている自分の言葉で書いてるので詳しくは
「サンクコスト効果」でググってほしい。
五輪の準備に膨大な費用がかかってるので今更止められない。
止めたとしたら国民が
「準備にかかった費用の責任を取れ」
と政治家を攻める。
そうではなくてこの状況なら、結局開催しても赤字を垂れ流すだけだから潔く中止でいいのではないか。
中止となったことで多額の損失が計上されたとしても傷を最小限に抑えたということでそれはそれでいいのではないか。
という判断がおそらく今の国民にはできないので五輪を開催するというのは今の政府ができるベターな選択肢だったのではないかと思う。
まとめ
結局なんの盛り上がりもなく開催された五輪。
でも初めの評判が最悪だっただけに結局最後には「いい五輪だった」という世論で終わりそうな気がする。
自国開催だから日本選手団はメダルも多く取るだろう。
それらも相まって終わった頃には良かったという意見でいっぱいになっているのではないか。
こんな単純な構図になるのではなく、開始した後の中身はともかく本当に今回の五輪は開始前の判断材料から考えて強行するのが妥当だったのかしっかりそれぞれが考えられるような社会であってほしいと思う。